幸せを失うとき
その喪失感を感じるとき、幸せがすべて奪われてしまったように思える。あるいは、何か大切なものを失ったように感じる。
その感情は、私が自分の行動や選択に対して責任を持たなければならないことを思い出させる。自分の幸せは他人や環境によって決まるものではなく、自分自身の選択によって築かれるものだからだ。
振り返れば、いつだって私が幸せを失うとき、自分が原因であるのだと気づく。
その選択が間違っていたのか、あるいは自分の期待が高すぎたのか。
その瞬間、私は自分の行動を見つめ直し、何が本当に大切なのかを考える。
好きと依存
好きという感情と依存は、時に混同されることがある。
好きは自分を軸にした感情であり、他者についても考慮する心理的余裕がある。
それに対して、依存は他者を自分の幸せの中心に据えることで、自分を見失うことがある。
好きは「あなたがいるから幸せ」と言えるが、依存は「あなたがいないと幸せではない」という切迫感を伴う。
相手への強い愛を感じていると思っていても、実際には依存していることもある。
そのため、相手を大切に思う気持ちが強いほど、依存から抜け出すことが難しくなる。
果たしてその時感じていた感情は本当に純粋な愛情だったのか。
それとも、依存から来るものだったのか。
その境界線は曖昧で、時には自分自身を見失うこともある。
強い不安からくる依存は、相手を苦しめる。
見捨てられることへの恐怖や、相手を失うことへの恐怖は、相手を束縛する。
その結果、相手は自分を守るために距離を置くことになる。
その距離ができることで、さらに不安が募り、依存は深まる。
単純な感情ではないからこそ、難しい。
それでもその行動を止めることはできずに、相手を消耗させてしまう。
その結果、相手を失うことになる。
その時、初めて自分の行動が相手を傷つけていたことに気づく。
ただただ、相手を愛していると思っていたのに。その愛情が、相手を苦しめていたことに気づく。\
過去を振り返る
一体今まで何人を傷つけてきたのだろう。
その時は気づかなかったけれど、振り返ると自分の行動が相手を傷つけていたことに気づく。
その時は自分の感情に振り回されていて、相手の気持ちを考える余裕がなかった。
その結果、相手を傷つけてしまった。
最初は明るく前向きだったのに、関係が進むにつれて疲れていく。
「幸せになる」ための資格
果たして幸せになる資格はあるのだろうか。
少なくとも今の私にはないだろう。
他人を傷つけてしまうような人間が、幸せになる資格はない。
ただそれだけの話だ。
なんでこんな話をしているのか
そもそも失恋したから、こんなことを考えているのかもしれない。
失恋したからこそ、過去を振り返ることができたのかもしれない。
あの日大好きだった人のことは、今でも忘れられない。
その人のことを思い出すたびに、あの時の自分を思い出す。
その時の自分は、相手を思いやる余裕がなかった。その時は自分の感情に振り回されていた。
心からあなたを愛していたのに。その愛情が、あなたを傷つけてしまった。
そのことを今でも悔いている。
またいつか、あの人に会える日が来るのだろうか。
もし会えたら、
あのときの自分とは違う自分でいれるのだろうか。